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本や音楽、映画などが好きないわゆる“文化系”の学生だった僕が入ったのは、マックス・ヴェーバー、フリードリヒ・ニーチェ、ミシェル・フーコーという3人の偉大な思想家の著作を読むというゼミで、政治学を専攻する学部としては異色の内容だった。

といっても、いわゆる名門ゼミではまったくない。一つ上の学年のゼミ生はたった1人、その前の年はゼロ。あまりの不人気ぶりに業を煮やした担当教授が地味な看板を掛け替えて(それまでは「18世紀ドイツ政治史」とかそんな感じだったと思う)、思想界のビッグネームを3人並べてキャッチーなタイトルにしたところ、僕らの代だけ突然、十数人のゼミ生が入ったのだった。

同期には、後に学者として活躍することになるメンバーが何人もいた。著書『暇と退屈の倫理学』が話題になり、今では気鋭の哲学者としてさまざまなメディアで活躍している、高崎経済大学准教授の國分功一郎くんをはじめ、東京大学大学院准教授の竹峰義和くん、南山大学准教授の大竹弘二くん、千葉工業大学准教授の浜野志保さんなど。

ゼミに入る前は、僕も「大学院に進学して学者に」なんてことを考えていたが、レベルが全然違った。

驚いたのは、彼らが本ゼミと並行してカントをドイツ語で原書講読する自主ゼミまで立ち上げたことだ。こちらは本ゼミの課題図書を日本語訳で読むだけでもヒーヒー言っているというのに……。もちろん僕は自主ゼミへの参加を丁重に断った。

そんなゼミ仲間との議論はとても刺激的だった。アカデミックなことから、カルチャー方面まで話題はさまざま。難しくてわからないこともあったが、自分の知らないことや、新鮮な発想にあふれた会話は横で聞いているだけで楽しかった。この面白さを番組として再現できないだろうか? というのが、「Life」や「Session‐22」の番組コンセプトにつながっている。

自分の役割をぼんやりと意識し始めたのもこの頃だった。彼らのハイブラウな議論はとても面白かったが、そのままでは多くの人に聴かれる機会は少ないだろう。この面白さを社会に接続し、より広く発信する「場」を作りたい。裏方としてなら僕にできることもあるんじゃないか? そんな思いを抱くようになった。

國分くんのサークルの後輩で、『永続敗戦論』を書いた白井聡さんによると、僕はラジオに配属されたばかりの頃、フランス留学を控えた國分くんの壮行会で「いつか君たちが活躍するような番組を作るから」と宣言していたらしい(酔っていたのか自分ではすっかり忘れていた)。それから10年ほど経って、國分くんや白井さんにも自分が作った番組に出演してもらうことができた。

以前から欧米では、こどもが不審者に誘拐される事件が頻発しているといわれてますが、こどもの総人口を考慮に入れると、不審者に誘拐される確率は実際にはほとんどゼロに近いんです。こどもがプールで溺れ死ぬ確率よりもずーっと低い。なのに親たちは、すべての茂みに性倒錯者が潜んでいると思いこんでる。

 これ、まさにいまの日本と同じ状況ですね。日本はその欧米よりもさらに、こどもが犯罪に巻き込まれる確率が少ないのに、たまに事件が起きると、テレビが朝から晩まで興味本位で事件を報道しまくり、アホなコメンテーターが的外れな分析をして人々の不安を煽るんです。

 そうやって心配しているわりには、東京なんか、けっこう夜遅くに、電車で学習塾帰りの小学生を見かけます。有名私立中学に合格させようとなると、不審者に襲われるリスクは都合よく忘れられるみたいですね。

 日本では毎年何十人かこどもが殺されてますが、その犯人は9分9厘じつの親です。学校ではこどもたちに、不審者に注意しなさい、と不安を煽りますが、本当は、親に殺されないよう注意しなさいと教えなきゃいけません。

この映画は、人間じゃないものとの恋愛というモチーフを通して、かつ、人を愛することができない人間たちと、恋を知ってしまったコンピューターを登場させることで、「恋する相手は、他者である」ということを描いています。あなたの恋の相手は、あなたのために存在しているのではない。
覚えてください、防災にオーラルケア。|サンスター|SUNSTAR| http://jp.sunstar.com/bousai/  震災で避難して歯磨きを怠っていると、口内細菌が繁殖して肺に落ちて肺炎になって死ぬとか。東日本大震災でも起こった事態。
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Reflection by Marco Britto

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Reflection by Marco Britto

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Mermaid at Hampton Court (by ukjohn)

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Mermaid at Hampton Court (by ukjohn)

ryuicostaworld:

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 同サービスは、1972年にマヴィックのスタッフがレースで車両が故障したスポーツマネージャーに自分のクルマを貸したことからスタートした。
多くの人がおかす過ちは、「私にはできない」と言うとき、実は「やってみる気がない」と言っているのだと気づかないことです。